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CalLogとデジオ

最近話題のパーソナルな情報発信のためのWebツール2題。

■「CalLog」は、空いた時間に携帯電話でちょっと書いては送り、Webにログを貯めていく新感覚の日記。
別にケチを付けるつもりは毛頭ないけど、デザインを見て、私は強い違和感を覚えた。こういうデザインをした人、そしてこれを受け容れられる人は、どこか時間感覚が決定的に自分とは違っていると思った。「CalLog」の「Cal」は「Calendar」のことなのだが、カレンダーというよりもカウンターのごとく日付が並んでいる。年も月も日もすべて均等な文字サイズで、2004年11月10日なら「041110」というように日付が表記されているのだ。そして、ここには曜日の表示がないから週サイクルという感覚もなく、均質な時間の流れが綿々と続いている感覚なのだ。機械的なカウントアップには死の匂いすら感じてしまう。10代、20代の人は、こういう時間表現をクールと感じるのだろうか? 不気味だ、とオジさんは思う。

■「デジオ」は、自分でラジオパーソナリティを気取ってお喋りを録音して、それをWeb上にMP3ファイルとして置いていく、音声ブログ的表現手段。
「デジオ」の「デ」はデジタルの「デ」ではなく、「でっちあげ」の「デ」だという。だからスペルもde-dioなのだ。Web上に一般人たちのHPが怒濤のように無数に立ち上がった頃、マスメディアで言論を担う人々のテキストばかり読んできたそれまでの感覚が大きくシフトするのを感じて興奮を覚えたものだ。しかし、あまりに氾濫してきて慣れてくると、読む側の興味はテキスト止まりになって、テキストの向こうにいる無名の書き手にまで想像力が及ぶことは余りなくなってきた(少なくとも私はそうだ)。しかし、「デジオ」には肉声の生々しさがある。まったく知らない、顔も見たことのない人なのに距離感が圧倒的に近いのだ。この感覚がとても新鮮。

もうひとつ、テキストの情報発信と違うのは、ブログなどを書く行為は、自分だけのために日記やメモをPCに打ち込む行為に、作業としては非常に近い。そのため、慣れてくると(そして当サイトのように不人気サイトままにでいると)、他者へ向けて情報発信しているという感覚が次第にあやふやになってくる。しかし、「デジオ」の場合、マイクに向かって話すという作業が必要になるから、発信者はかなり自覚的にならざるをえず、その人の考える面白さが強烈に追求されることにつながる(それがはなはだ気色悪いものになってしまうケースもあるのだが)。また、(すべてのデジオ制作者が採用しているわけではないが)「ラジオ番組」というモデルがあるので、テーマ曲、冒頭の挨拶、喋り方、ジングルの挿入など、ゴッコ感覚に溢れている。その辺もまた、「デジオ」が奇妙な味わいをもっている理由だろう。(音声だからブラウズに時間が掛かるのが難点。まずは、タナカカツキの「デジオナイト」や「デジオ女学院」の最初の数回、18回目までの「デジオ番外地」辺りを聞いてみるといいかもしれない。)

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