解けない謎(『ケルベロス第五の首』)
図書館で予約していた話題の難解SF小説、ジーン・ウルフ『ケルベロス第五の首』(柳下毅一郎訳,国書刊行会,2004)の順番が回ってきてしまい、仕方なく忙しい最中に読むことになった。3部構成の中編のうち、小説として楽しめたのは最初の1編だけで、あとは謎解きに頭を悩ませることになった。謎は解けない。『SFマガジン』(2004年10月号ジーン・ウルフ特集)の鼎談を読んでもわからない。返却日が来て、本が手元になくなっても頭を離れない。これはほとんど災難だ! 以下、取り憑いてしまったやっかいな想念を追い払うために、SFにもミステリーにも疎い人間が記憶を頼りに行った、いい加減でしかも途中で放棄している推理を記しておく(誰かもっと理にかなった推理を教えてくれればいいな、と虫のいい期待をしつつ)。
「ヴィクター少年がサント・アンヌの奥地でマーシュを殺してすり替わって戻ってきたという説」(以下、マーシュすり替わり説)は、鼎談で翻訳者らが太鼓判を押しているように、ヤード・ポンド法とメートル法の使い分けなどの状況証拠を筆頭に、その出来事を暗示する記述はいくつもみつかる。例えば、自分自身の会話を分析するという奇妙な暗号の解読法は、彼がオリジナルのマーシュからなんらかの方法で盗み取った記憶を探ることが暗号の解読に役立ったということを意味しているのではないか。
しかし、それをとっかかりに謎を解こうとするときに、まず考えなくてならないのは、アボ(原住民)が人間にすり替わるとして、そのすり替わりの過程と、すり替わった結果がもつオリジナルとの差異がどのようなものであるかだ。それを暫定的に規定するために、仮説を立ててみた。
○アボに関する仮説
(A1)生物学上は人間とほとんど変わることがなく、DNAを調べても簡単にはわからない。従って「ソラリスの海」のように自由に姿を変えられるわけではない。多分、人間との交配や身体の部位の接合も可能であり、ヴィクター少年はハーフである。
(A2)人間を含む他者の記憶をまるごと自分にコピーすることができる。
(A3)たとえ人間の記憶をコピーした後でも道具の使用が苦手である。
(A4)他者の記憶をコピーした後でも、元の記憶を完全に失うわけではない。
(A5)一般的に人間よりも背が高く、成長も早い。
(A6)殺し、共食い、盗みに対する罪悪感に欠ける。
○仮説の説明
「ケルベロス第五の首」(以下I)で描かれているようにサント・クロアでは、クローンや身体部位の移植などの技術が発達している。このような遺伝子工学や医療技術がありながら、人間と人間になりすましたアボの区別をチェックできず、「ヴェール仮説」が論破されないためには、(A1)が必要と思われる。
(A2)は、(A1)を満たしつつ、アボが特定の人間に成りすますための条件である。個体を超えた記憶の交換は、「『ある物語』ジョン・V・マーシュ作」(以下II)でも言及されている。ヴィクター少年がハグスミスの真似をやってみせたシーンもこの仮説を支持しているように思えた。アボが人間になりすませることを否定しないのは、そうするとこの小説の面白さが半減してしまうから。、「V.R.T.」(以下III)に登場するマーシュのフィールドワークの記録にあるような、アボが一瞬のうちに自由に姿を変えたという伝承は民話と見なせばよい。
マーシュすり替わり説から(A3)が導かれる。記憶をコピーしているだけなのだから、人間とアボの隠れた差異によってこのような差異が現れてもおかしくない。さらに、マーシュになりすましたヴィクター少年は、自分の企みを隠蔽するために、嘘の記述(ヴィクター少年が死んだこと、猫に手を噛まれたこと)をフィールドワークの日誌に書いていることになるが、それが可能であるためには(A4)が必要であろう。牢獄のマーシュにもまだヴィクター少年時代の記憶の残滓が見られる。牢獄のマーシュがメートル法を使いだすためにもこの仮定は必要だ。
(II)はオリジナルのマーシュの採集した民話と思われる(ヤード・ポンド法で書かれているから)が、丘の民や沼の民の部族たちがアボに、影の子が人間に対応しているなら、アボは人間よりも背が高いことになる。牢獄のマーシュは、「2m20cmもある女性は結婚相手をみつけにくい」というような命題をまるで真理でも発見したかのように述べているが、アボの女性に対する人間男性の審美的評価は低かった。ヴィクター少年の母に対しても同様だった。そこで(A5)を仮定してみると、小説中で特別な意味を帯びてくる記述がいくつもある。ネリッサ、エティエンヌ嬢、そして「犬の館」に出入りする背の高い女性たちはアボである疑いが生じる。
(A6)はジーニー叔母さんが「ヴェール仮説」を打ち立てた理由であり、(II)や(III)のマーシュのフィールドワークなどからも支持される。
○仮説に基づく推理
(S1)サント・アンヌの住民の多くは人間である。なぜなら、(A3)から、もしサント・アンヌの住民がすべてアボのすり替わりであったら惑星の文明はかなり原始的なものになったはずである。従って「ヴェール仮説」は部分的に否定される。「自由の民」はアボを装うことで後続のアメリカ系の移民の支配を逃れたフランス系移民であろうが、そこには本物のアボも僅かに混じっていた。ヴィクター少年の母親のように。
(S2)逆にサント・クロアにはかなりアボが混ざっている。(A5)、(A6)からの類推で。(III)で士官が語るサント・クロアの政策から、奴隷や娼婦としてかなりアボがサント・アンヌから移入していったと想像される。第5号の父は、アボの女性たちが客の取れるように医学的な加工を加えていたのではないか。第5号の父が問題視しているようにサント・クロアが一向に発展しないのは、実はアボ濃度が高くなっているためなのだ。
(S3)第5号の父は、自分がアボなのかどうかを確かめたくて自分のクローンである第5号の深層意識を調べている。普通の意味での記憶は遺伝しないから、クローンの深層意識を調べることは常識的にはナンセンスだ。マーシュは、クローンを繰り返すことで年齢差以外に差異のない人間ができる(緩和法)と主張したが説得力に欠ける。父にとって意味のあるやり方は、自分のクローンと、そのクローンの記憶をコピーしたアボの深層意識を比較することではないか。
(S4)したがって、「犬の館」には第5号の他に彼の記憶をコピーしたアボが住まわされていると考えたい。おそらくそれはデイヴィッドだろう。彼は父とアボの女性の間に生まれたハーフで、父は薬物を使って、第5号の記憶をコピーするように誘導したのだ。彼の手先が器用なのは、父の医学的処置のおかげと考えることが出来る。
(S5)(I)の書き手はフランス語圏出身のアボである。(I)には文章の分断がある:父と第5号の対決のシーンにマーシュが立ち合い、背の高い女性がドアを閉めるところまで/ドアを閉める音/ドアが閉められた後、女性の背中の回想からと記述が断片化して*で区切られている。ここに記憶の断層があり、書き手はそれをその通りに記録したのではないか。つまり、断層の前は第5号のオリジナルから、すり替わった第5号が引き継いだ記憶であろう。そして、「センチ」という単位が、記憶の断層の直後に登場する。マーシュすり替わり説を採用するなら、このヤード・ポンド法からメートル法への転換も同様に説明付けなくてはならない。つまり、断層後の第5号はアボであり、しかもフランス語圏の出身だ。
(S6)マーシュは二人いた。牢獄にいるマーシュの回想によれば、(I)で第5号と父の対決の場面に呼び出されて立ち合う前に逮捕されてしまっている。そして、(I)の書き手によれば、対決の後で第5号が父を殺したにも関わらず、マーシュの逮捕の理由はこの殺人と関連した疑いとなっている。すなわち牢獄のマーシュが嘘の回想を書く理由がないのなら、マーシュは二人いたか、(I)の書き手が記憶の断層以降で嘘をついているかのどちらかになる。(I)が自分自身を明らかにするために書いているのなら、嘘は書かないだろうから、マーシュは二人いたと考えられる。オリジナルのマーシュは生きていたという説が浮上する。
(S7)「マーシュすり替わり説」と(S5)から、フランス語圏出身のアボがヴィクター少年以外にもう一人いて、それぞれがマーシュと第5号にすり替わったと考える必要がある。「マーシュすり替わり説」を重視するなら、第5号にすり替わったのは、サント・アンヌから「犬の館」へやってきた小説では言及されていないアボということになってしまうが、第5号の深層記憶にはフランスの教会などが出てくるので、これはデイヴィッドでもいいのかもしれない。
この後はうまく説明が出来ない。おそらくアボの仮説として、(A2)は不十分で、記憶の交換や記憶の融合が可能なのではないか・・・この辺で匙を投げる。「私は何者なのか?」と自分に問うても答えはでない。これから何者かになっていくよりほかないのだ、などと呟きつつ。

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