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伊藤キムと土方巽(《禁色》)

2005年版《禁色》と銘打たれ、土方巽三島由紀夫の名前と共に宣伝された伊藤キムの新作《禁色》 公演。見に行った6月9日は、世田谷パブリックシアターに立ち見が出るほどの大盛況であった。彼の公演には珍しく、土方の《禁色》 (1959)公演に立ち合ったのではないかと思われるような年齢層の客も少なからずいる。そして、業界人濃度も高いようだ。普段、他人の公演は余り見に来ないと思われるようなダンサーも会場で見かけた。おそらく、業界関係者や年季の入った舞踏ファンの注目度は相当高かったのではないか。

しかし、始まってみると、冒頭の全裸ダンス(アフタートークでの伊藤の発言によれば、局部は特殊メイクをしているという)には最初あっけにとられたものの、その後は、これがそれほどに注目されるべき公演なのかと首を傾げた。というより、《禁色》というタイトルや公演前のインタビュー(*1)での「舞踏に活を入れる」発言などは完全にフェイントだったのではないか、真に受けた自分がバカだった、と公演が進行するに連れて思うようになった。

ところが、公演が終わってアフタートークが始まると、司会を務める榎本了壱がこの公演を大真面目に受け止めていることがわかった。伊藤《禁色》は、土方《禁色》の衝撃(鶏を絞め殺す)や三島《禁色》のスキャンダル(男色)をどう乗り越えたか、みたいな話の進め方になっていたのだ。伊藤自身は榎本の煽りをなんとかはぐらかそうとしているように見えた。私は伊藤が最初からスカすつもりで《禁色》というテーマを選んだと思えてならない。あえて言うなら、土方を茶化してみせること自体が伊藤なりのスキャンダルへの挑戦だろう。そして、後からあの公演を思い返してみれば、あれはやはり伊藤らしい、「土方への今日的な応答」と言えるものだったのではないか、という気がするのだ。どうしてそう考えられるのかを、以下に説明を試みよう。

その前に、伊藤が土方を意識したかどうかはともかく、私にはあの舞台が、伊藤がこれまでの自分の舞踏家(?)としての歩みを振り返った作品であるように見えた。冒頭、素っ裸の伊藤と白井剛が、両手で前を隠しながら爪先立ちでチョコチョコと壁に沿って歩み出てきた時、まず想起されるのが彼の出世作《生きたまま死んでいるヒトは死んだまま生きているのか?》 (1995)である。そして、”チンポコダンス”(@榎本)の後、服を着てから最初のシーンでは、二人が、それぞれ舞台の奥から手前に伸びる光の廊下を往復しながら踊るが、これは《3SEX》 (1998)にあったパターンである。毎回、客席に向かってやってくるたびにどのような異なった印象を作るか、あるいは何かやると見せかけて何もしない・・・そんな駆け引きをしながら、廊下を往復しながら加速していく進行の仕方は、すでに記憶も薄らいではいるが、だいたい同じだったと思う。伊藤の最初のソロは、舞台を斜め手前へ少しずつ歩みながら、つま先立ちになり天を希求するが、これは《ANATA》 (1996)を思い出させたし、後半のデュオシーンにおける、照明で作られた四角い回廊を二人がうろうろするところは、榎本も指摘したように《激しい庭》 (2001)を思わせる。

これらは自作の引用とまではいかないが、こういうシーンがいくつもあったのだから、やはりこれは伊藤にとって区切りとなる作品だったのだろうな、と思った。そして、こうして振り返ってみることで、彼がシーンの創作に当たって、明確で固定的な配置を設定することの多い振付家であることを印象づけられた。シーンごとに、決め事や可動域を設定して、行動を限定するのである。

ところで、たとえ《禁色》がフェイントだとしても、伊藤と舞踏の関係はやはり気になる。浅学ながら、舞踏の明確な定義を説明してくれる文章に出会ったことがない。仕方がないから、土方の言葉を拾い読みして--土方の言葉はシュールレアリスムの詩のようで、私にはよく理解できないのだが--管見を述べれば、ダンサーが動きの様式や技法を学ぶことで踊るのではなく、自分の肉体の中にいきなりダンスを発現させる何かを発見して、それを表出させる、あるいはそれに肉体を明け渡すことではないかと、とりあえず私は考えている。少なくとも、土方は「ダンスを発現させるものは各人の内に存在する」と信じているように思われる。私はこの考え方を批判するものではないが(そもそも私の勘違いかも知れないし)、中立的な呼び方として、この場ではそれを「舞踏イデオロギー」と暫定的に呼んでみる。

舞踏公演を見に行くと、しばしば、ダンサーが10分も20分もほとんど動かないようなシーンをぶち当たるが、これなど、舞踏イデオロギーを愚直に遂行している現場に立ち合っているのだと思う。正直なところ、そうしたシーンに眠くなってしまうことがある。私に舞踏を見る目がないせいかも知れないが、「舞台上のダンサーがそもそも人に見せて面白いだけのダンスを体内に宿してなどいなかったのではないか?」と疑ってしまう。つまり、舞踏イデオロギーは選ばれた者にだけ有効なのではないか、ということだ。これに対して、舞踏イデオロギーの立場から批判するなら、そのダンサーはまだ自分の肉体の中にダンスを発現させるものを発見できていない、ということになろう。そもそも存在しないのか、まだ発見に至っていないのか、この二つを判別することは原理的に不可能だ。

さて、伊藤は公演前のインタビューで「舞踏は本来自分の体に手を突っ込んで内臓をえぐり出すような作業」と語っているが、彼も、自分が舞踏家であるためには、この舞踏イデオロギーを自分のイデオロギーとすることだと考えているのではないかと思われる。土方は澁澤龍彦との対談で「自分の肉体の中の井戸の水を飲む」「自分の体に梯子段をかけて降りていく」というような言い方をしているが、伊藤の発言は、同じような創作姿勢を指しているのだろう。

では、伊藤は「自分の体に手を突っ込ん」だ結果、どんなダンスを生み出したのか。《禁色》の伊藤の2度目のソロ(モーツァルトのクラリネット協奏曲で踊ったもの。同じ曲が使われていたこともあり、勅使川原三郎《アブソリュート・ゼロ》 を思い出した)を思い返してみて、彼は自分の肉体を探索した結果、そこにはダンスを発現するようなものは何もないことに気がついたのではないか、と私は想像する。

私はかつて、90年代後半の伊藤のダンスについて、「身体=自分自身」の発見劇だと書いた。(参照:今となっては考え直したい箇所もあるが、伊藤キムについてのところだけ読まれたし)では、その自分とは何者なのか? 改めてそのような問いを立てて、自分の身体を探索した結果、そこには答えがなかった。不安げな前屈みのポーズを固定したまま、一方の軸足で回転して180度向きを変える--彼の作品にしばしば登場するこの印象的な振りから、「深く自分の内に沈降することなど無意味だ、この舞台の上をうろうろするしかないのだ」という声を聞く思いがする。

誤解のないように断っておくが、私は「だから、伊藤キムはダメだ」と言うためにこれを書いているのではない。むしろ、その逆である。私の想像では、彼は「自分の内を探したけれど何もなかった」ということを発見したのだ。そして、「自分の内を探したけれど何もなかった」ということを踊ったのだ。つまり、彼がやったことは、「舞踏イデオロギーのメタ的な変奏」というべきものではないか。念のために書き添えるが、彼が舞踏イデオロギーの創作プロセスを説明的に演じて見せたと言うことでは全くない。自分の内にダンスを発見した結果が舞踏であるとするなら、内部を志向しつつ「発見できなかった」という状態が彼のダンスであるという意味だ。

そのような彼の”舞踏”は、舞踏イデオロギーを素朴に信じて、私を退屈させる舞踏ダンサーたちよりも、私にとって遙かに好ましい。《禁色》を見終わって、何とも言えない空虚さを感じたが、それは自分に無関係な空虚さではないように思えた。どのように空虚であるか、その空虚さの詳細を味わわせてくれる体験を送り届けられたような気がする。

これまで、伊藤の創作の舞台裏を推理するかのような書き方をしてきたが、実際に伊藤本人がどう考えたかということは、実はどうでもよい。「舞踏イデオロギーのメタ的な変奏」と解釈できる舞台があり、空虚な体験を与えてくれたということが、私の見出した伊藤《禁色》の意義である。

彼がシーンごとに固定的な配置を好む傾向があるのは、おそらく内部をダンスの拠り所にしないことと無関係ではないだろう。内部をダンスの拠り所にしないのは、コンテンポラリー・ダンスにおいてごく普通のことだが、にもかかわらず、自己探求を止めるわけにはいかない、というのが伊藤のダンスなのだ。だから、まず外部環境が与えられ、その中で「自分」というものが形をなしていく--それは、きわめて今日的な個人の存在様式のように思われる。


(*1)朝日新聞6月3日夕刊「三島の小説素材に新作「禁色」伊藤キム」

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